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高輪ゲートウェイシティは「100年先見据えた実験場」、ロボットや研究拠点がずらり

東京都港区のJR高輪ゲートウェイ駅周辺で整備が進む「TAKANAWA GATEWAY CITY(高輪ゲートウェイシティ)」が2025年3月27日にまちびらきを迎えた。総事業費に約6000億円を投じ、JR東日本が単独で取り組む複合再開発としては初となるビッグプロジェクトだ。 高輪ゲートウェイシティで同社は、「100年先の心豊かなくらしのための実験場」を開発のコンセプトに掲げている。特に「モビリティー」と「環境」、「ヘルスケア」の3領域に注力し、街の中で実証実験などを進めていく方針だ。 「モビリティー」については、自動走行ロボットを駅前広場に回遊させる。来街者は実際に乗り込むことができ、南北1kmに及ぶ街区の移動時などで利用できる。ロボットの一部には水素由来の電気を利用し、環境にも配慮する。 JR東日本のマーケティング本部まちづくり部門品川ユニット(事業計画)の天内義也マネージャーは、「早く移動することだけが価値ではない。都市の景観を見ながらゆったりと移動することそのものを楽しんでほしい」と語る。まずは5台を導入し、運用を踏まえて今後さらなる拡大を見込んでいる。 JR東日本のマーケティング本部まちづくり部門品川ユニット(事業計画)の天内義也マネージャーは、「早く移動することだけが価値ではない。都市の景観を見ながらゆったりと移動することそのものを楽しんでほしい」と語る。まずは5台を導入し、運用を踏まえて今後さらなる拡大を見込んでいる。 駅前広場には自動走行ロボットが動いている。実際に乗って広場の中を移動できる(写真:日経クロステック) [画像のクリックで拡大表示] JR東日本のマーケティング本部まちづくり部門品川ユニット(事業計画)の天内義也マネージャー(写真:日経クロステック)[画像のクリックで拡大表示]荷物を運ぶロボットなども導入する。オフィスワーカーがスマートフォンのアプリから注文した商品を、オフィスのデスクまで配達するといった利用を想定している。街全体の情報を蓄積するデータ基盤とロボットプラットフォームを連携させ、ロボットがエレベーターを呼び出し、人の手を介さずに階をまたぐ移動ができるようにする。警備ロボットや清掃ロボットなども運用していく。 さらに、高輪ゲートウェイシティには「空飛ぶクルマ」の発着点も整備する計画だ。28年に商用開始予定の米ASKAが開発している「ASKA A5」を採用。都内から地方への日帰り旅行などを気軽に楽しめるような環境を整える。 THE LINKPILLAR 1のオフィスエントランス。写真左に見えるのは、荷物を搬送できるロボット(写真:日経クロステック)[画像のクリックで拡大表示] 空飛ぶクルマの3分の1のモックアップ。JR東日本は、将来的に高輪ゲートウェイシティに空飛ぶクルマの発着点の整備を計画する(写真:日経クロステック)
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カイロス2号の打ち上げは宇宙に到達!

 宇宙ベンチャー「スペースワン」(東京都)は18日、打ち上げに失敗した小型ロケット「カイロス」2号機の最高到達高度が110・7キロだったと明らかにした。一般的に高度100キロ以上は宇宙空間とされる。豊田正和社長は「失敗とは捉えていない。得られたデータ、経験は非常に貴重だ」と述べ、3号機の打ち上げに向けて原因究明と開発を急ぐ考えを示した。  同社によると、発射から約80秒後に第1段エンジンのノズルに異常が発生。1段エンジンは切り離したが姿勢を崩し、西に経路がずれたため、2段エンジンで飛行中の3分7秒後に自律的に破壊した。【大澤孝二、駒木智一】
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自民と政府、与党税制で年収の壁「123万円」引き上げを最終要求

 自民、公明両党は18日、所得税がかかり始める「年収103万円の壁」の見直しについて、20万円引き上げて123万円とする方向で最終調整に入った。20日にも決定する2025年度与党税制改正大綱に明記する。  123万円への引き上げは25年分の所得から適用する。  年収の壁の引き上げは、自公と国民民主党の3党の税制調査会の幹部が具体策を協議してきた。178万円までの引き上げを求める国民民主は17日の会合で「協議打ち切り」(古川元久税調会長)を宣言。自公は国民民主との協議継続を求めており、必要に応じて年明けの通常国会に政府が提出する税制関連法案の修正などを含めて検討する。  現行の年収103万円の課税水準は、最低限の生活費に課税しない基礎控除(48万円)と会社員らの経費を差し引く給与所得控除(55万円)の合計。自公は、1995年以降の食料や家賃、光熱費など生活に身近な物価の上昇率に基づき、それぞれ10万円ずつ引き上げ、課税水準を123万円にするとしている。【杉山雄飛、古川宗、福富智】
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「選挙の神様」が明かす黒子の存在「ア

 選挙には影の存在としての「黒子」がいるらしい。兵庫県知事選挙では、そんな選挙の裏側に思わぬ形で光が当たり、論議を呼んだ。黒子はいったい何者で、何をしているのか。選挙の「神様」に聞いてみた。(デジタル編集部 古和康行) 選挙の現場にいる「よくわからない人」たち  兵庫県知事選挙で、PR会社の経営者が斎藤元彦知事から「広報全般やSNS戦略を任された」と投稿サイトに書き込んだ。それが公職選挙法に抵触する可能性が指摘されている。  でも、選挙を取材すると、やけに選挙事情に詳しかったり、情勢を分析して「票読み」をしたりする「謎の裏方」をよく見かける。選挙プランナーやコンサルタントといった言葉も聞いたことがある。  政策をぶつけ合って候補を選ぶ選挙の「裏側」で何が起きているのか。そんな疑問を持って、ある人のもとを訪ねた。 神様が言った「迷惑だ」  「神様」は永田町にいた。  東京メトロ千代田線「国会議事堂前」からほど近いマンションの一室に、藤川選挙戦略研究所がある。そこの主こそ、選挙コンサルタントの藤川晋之助さん(71)だ。  23歳で政界に飛び込み、市議会議員や政治家秘書、政党の事務局長などを歴任してきた。大小さまざまな選挙を参謀として取り仕切り、本人 曰いわ く、通算成績は「130勝16敗」。勝率は89%超えだ。先の都知事選で前安芸高田市長の石丸伸二氏を小池百合子知事に迫る次点まで引き上げたとも言われ、政界では「選挙の神様」との異名を取る。  「あんなことを言われたら迷惑だ。選挙の裏方の仕事って成り立つのかというところまできている」  兵庫県知事選挙でのPR会社社長による発信について、事務所の応接セットのソファに深く腰掛け、藤川さんは言う。「選挙の裏方はあくまで黒子に徹するべき職業。自分がこれをやりましたなんてアピールするのはご法度だ」と。  原則として、公職選挙法では、選挙運動をする人に金銭を支払うと買収行為にあたる。2013年にインターネット選挙運動が解禁された時のガイドラインでも、選挙運動用ウェブサイトなどの文案を業者が企画作成して報酬を支払う場合、「選挙運動の主体であると解され、買収となるおそれが高い」。ちなみに「コンサルタント」から助言を受ける場合についても同様だ。  つまり、業者にお金を払って、選挙運動を丸投げすると違反になる可能性が高い。ここでいう選挙運動とは、選挙期間中(公告示日から投票の前日まで)の間の活動をさす。  とはいえ、PRやコンサルタントは広報や活動の方針について、企画・立案して全体像をまとめるのが仕事。プロである彼らが主体的ではないなんて、あり得るのだろうか? どこまでがセーフなのだろう?  総務省選挙課に聞くと「PR会社やコンサルという存在が、公選法上位置付けられていない」(担当者)ため、具体的に「これは良し、これはダメ」と行為の線引きができるわけではないという。「個別の事案の適否を判断する立場にない」としながらも、「候補者陣営からの具体的な指示の下、機械的な作業を行うことは選挙の主体として認められない。その場合、社会通念上、妥当な金額を支払うことができる」という。 選挙コンサルの実態「あっさりとしている」  では、一体、選挙コンサルは現場で何をしているのだろうか?  藤川さんは「昔は選挙師と呼ばれる人たちがいた。候補者が数千万円のお金を差して『これで助けてください』と泣きついたり、相手陣営の参謀を金で潰したり……。そういう激しい現場を見たこともあり、カッコよく見えたのも事実だ」としつつ、「今の選挙コンサルはあっさりしている。例えば、ポスター作りやビラを配るタイミング、街宣の内容を助言したりする程度のもの。かつてのような豪胆な働きは今の時代は通用しない」という。  特に藤川さんが強調したのは、「違反者を出さない」ということ。  「選挙期間は、法律に違反していないか毎日チェックする」のだという。ガイドラインでは、コンサルが「選挙運動の主体」となることについて違反を指摘しているから、「スタッフの意見をまとめて、候補者に助言する」。公選法については、「長年、選挙に携わっていても、忘れてしまうこともある。だから、選挙管理委員会や警察に相談しながら線引きしていく。警察に顔を出して2課長(主に知能犯や選挙犯罪などの捜査を担当する部署)と親しくなり、自分たちの動きが間違っていないかを確認することもあるほどだ」と話した。...
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インバウンドに沸く大阪市、世界都市ランク35位…

 森ビルの調査研究機関「森記念財団都市戦略研究所」(東京)が発表した2024年の世界の都市総合力ランキングで、大阪は35位となり、前年よりも順位を二つ上げた。順位上昇は8年ぶりで、訪日外国人客が増加した影響が大きかった。  ランキングでは、世界の主要な48都市を対象に、〈1〉経済〈2〉研究・開発〈3〉文化・交流〈4〉居住〈5〉環境〈6〉交通・アクセスの6分野で、計70の指標を評価。総合のトップは英ロンドン、2位は米ニューヨーク、国内では東京が3位、福岡が42位だった。  大阪は指標別で、外国人訪問者数の順位が20位から6位に上がったほか、国内・国際線旅客数、ナイトライフの充実度といった観光関連の順位の上昇が目立った。16年には総合で22位だったが、その後は企業集積をはじめとした経済分野などが低迷し、順位の下落が続いていた。  25年には大阪・関西万博の開幕が控えており、同研究所は「文化・交流や交通・アクセス分野への好影響が予想される」としている。
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なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”

田中角栄首相は今も根強い人気がある。なぜ彼は人を惹きつけるのか。角栄を師と仰ぐ自民党元幹事長・石破茂氏の自著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)より、2人のエピソードを紹介する――。 ロッキード事件の最中、「丸紅」勤務の彼女と結婚 1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。 木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。 「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」 これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。 「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして」 角栄先生は、へー? という顔をして、詰めてきました。 「何だ、それは。どこに勤めているんだ」 ここで私は窮地に立ちました。彼女の勤め先は、あのロッキード事件の渦中にあった丸紅だったからです。「商社です」とごまかそうかと一瞬思いましたが、この先それで通しきれるはずもありません。仕方なく、さらに小さくなりながら、正対してきちんと(いえ、もしかしたら逃げ腰だったかもしれませんが)「ま、丸紅です」と答えました。 「馬鹿者」から表情が一変 角栄先生は一言、「馬鹿者」と仰って、激高しそうな様子をみせたのですが、ふと、考え直すようなそぶりで、「待て、その子の親はどこの出身だ」と聞いてこられたのです。私は心中、快哉を叫びました。彼女のお父上の出身は新潟だったからです。 おそらくかなりの得意顔で私が「ご出身は新潟です」と答えると、先生は急に柔和な感じに戻られ、「そうか、それならいい」と言ってくださいました。 その後、私は無事にその彼女と結婚できることになり、結婚式は83年9月22日、ホテルニューオータニで挙げることになりました。
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「最低7時間睡眠が理想」は大ウソである…医師「自分に最適な睡眠時間を把握するたった1つの方法」

人間にとって最適な睡眠時間はどのくらいか。日本睡眠学会理事で医師の櫻井武さんは「1982年、アメリカの100万人以上を対象にした調査では、6.5〜7.4時間睡眠の死亡危険率がもっとも低いことが示されている。しかし、これは調査対象者が30〜102歳の男女と幅広く、睡眠時間もベッドでゴロゴロする時間も含まれている可能性が高いので、正確性に欠けていると考えるべきだ。自分の最適な睡眠時間の目安としては、昼間、眠気に襲われることなく、本来やるべき作業をしっかり行なうことができるかどうかをみるといい」という――。 起きているときの脳は、常に情報を伝え合っている 起きているときの脳は、さまざまな体験と行動を繰り返して、それを記憶しています。 たとえば朝、出社するとき「風が強いな。交差点で自転車の事故を目撃した。花の香りがした。近所の人と挨拶をした。駅のホームで手袋が落ちていた。友だちから旅行の誘いのメールが入った……」などの出来事があったとします。 これらの体験と行動は、脳の1000億ある神経細胞のシナプスという接続部分で、神経伝達物質をやりとりして脳に溜め込まれています。 起きているときに、たくさんの情報を伝え合っている神経細胞同士のシナプスは「強度」が上がっています。繰り返し使うほどに、シナプスは強く(つまりは、より記憶が定着する)なります。 ちなみに、このシナプスの強度が上がっていることが「睡眠圧」を生み出しているという説が有力になっているのです。 難しいですね。こんなたとえはどうでしょう。 起きているときは、頭のなかには、1つのコンセントに電源タップを使ってたくさんの電気機器をつないでいる「たこ足配線」の状態だとイメージしてみてください。記憶するべきことが多く、たくさん神経細胞同士を“接続”する必要があるからです。
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上野英三郎博士とハチ公

ハチ公は晩年、有名になってから「忠犬」と呼ばれるようになり、戦争と軍国主義の時代にあって恩を忘れぬ犬として修身教育に利用されました。ハチ公を世に知らせた社会的な生みの親で犬の愛護と研究に生涯を捧げた斎藤弘吉氏は次のように述べています「死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかも知れませんが、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。無条件な絶対的愛情なのです。人間にたとえれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似た性質のものです。」「渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない博士に会いたかったのである。ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾をふりたかったのである。私たちが東大に作る像は、上野博士が迎えに来たハチ公といつもそうしていたように、ハチ公が博士に飛びついてスキンシップをしている、大喜びの愛情あふれる姿です。人と犬との素晴らしい関係を象徴する像です。
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【古尾谷 裕昭】50歳未亡人が絶句…夫の急死後、「前妻の子」から突如届いた「内容証明」の驚きの中身

最愛の夫をある日、突然の病で失った芳美さん(50歳、仮名=以下同)。悲しみに暮れるなか、前妻の子から届いた内容証明郵便を見て絶句してしまった。気になるその内容とは……。相続にくわしい税理士の古尾谷裕昭氏が事例をもとに解説する。 【この記事の登場人物】 佐藤 博(享年58歳):被相続人 佐藤 芳美(50歳):博の後妻。博の相続発生時の配偶者 朋子(60歳):博の前妻 慶太(30歳):博と朋子の子ども 莉子(20歳):博と芳美の子ども 夫の突然死、恐れていた相続問題が…不動産会社の社長である佐藤博さん(享年58歳)が亡くなったのはお盆を過ぎたあたりのまだ残暑厳しい時期のことでした。 交差点で信号待ちをしていたときに、信号が青になっても、クラクションを鳴らしても動かない車を後続の運転手が不審に思い、車内を覗いてみると、博さんがハンドルにかぶさるようにして倒れていたといいます。 すぐに緊急搬送されましたが、妻の芳美さん(50歳)が病院から連絡を受け、急いで駆け付けたときには博さんはすでに鬼籍の人となっていました。死因は心筋梗塞。 中古マンションの仲介案件が成約したので、その後の手続きの指示のため、会社に電話を入れたのが博さんと芳美さんの交わした最後の会話となりました。 車はサイドブレーキがかけられた状態だったとのことで、おそらく、体の異変に気づいて咄嗟に停止させたのでしょう。最期まで周囲のことを考えて行動していた夫を思うと芳美さんは涙が止まりませんでした。 芳美さんは博さんとの結婚が初婚ですが、博さんは再婚でした。 博さんは芳美さんと出会う前、現在の会社を立ち上げる前に、不動産会社の従業員として勤務していた頃、当時婚姻関係にあった前妻の朋子さんに、マイホームを買おうと頭金として一生懸命貯めていたお金を持って駆け落ちされてしまったのです。 結婚して5年。それだけではなく、目に入れても痛くないほどかわいがっていた当時3歳の一人息子の慶太くんまでも連れ去られ、博さんは憔悴しきっていました。 それから何か月か経って、朋子さんと慶太くんの居場所がわかりましたが、その時には朋子さんのお腹の中に駆け落ち相手との子どもがいました。「訴えることもできますよ」と相談していた弁護士に言われていましたが、博さんにはそんな気力は残っていませんでした。 朋子さんのお腹の子は博さんの子どもではないため、父子関係はないとする嫡出否認と離婚の手続きだけを済ませました。とにかくこのことを考えたくなかったからです。 前妻との件があってから博さんは仕事に没頭しました。そんなときに芳美さんが転職してきたのが2人の出会いです。芳美さんが、仕事のできる博さんを好きになるのにそう時間はかかりませんでした。...
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余命は1カ月どころか週単位…70代女性がよろめく体を奮い立たせてやった驚くべき行為と奇跡的に生きた年月

■亡くなる前にもう一度両親の墓参りをしたい 病気が重くなり動けなくなりますと、人は若い頃を追憶し、故郷に帰りたいという想いが強くなるようです。 亡くなる1週間くらい前、人によってはもっと前から、少なからぬ人にせん妄という混乱が生じます。現状の認識が困難になり、時間や場所の感覚があいまいになるのです。 そのような混乱の最中に、昔のことを語りだす人が少なからずいます。昔と今を取り違えてしまっているのです。息子を父だと勘違いしたり、妻を母と勘違いしたりすることもあります。 私は、100歳近い女性患者さんに「お父さん」と泣き叫ばれて抱きつかれたこともあります。彼女は私に、父の姿をみたのでしょうか。 そういった患者さんたちの様子をみるにつけ、幼い頃の記憶というのはいかに強固に心に残っているか思い知らされます。人は意識していなくても、心の奥底には、幼少期に住んでいた場所、そこで共に生きた人々のことが記憶として刻まれているのでしょう。 死ぬ前に「故郷に帰りたい」「両親の墓参りをしたい」という想いを強くする人もいます。 余命が週単位と思われるほど衰弱した、70代の女性患者さんがいました。 その方は望郷の想いから、なんと飛行機に乗って1000km以上も離れている故郷に帰ったのです。これが最後だと知ったうえでの、文字通り覚悟の旅でした。 彼女は故郷に眠る父母の墓に手を合わせたそうです。また兄弟と忌憚なく笑い合い、心の中ではっきりと別れを告げたそうです。 そのうえでよろめく体を奮い立たせて、また1000km以上もの飛行機の旅をして、帰ってきました。 もはやまともに歩くのも困難なほどの状態でしたから、この往復は奇跡的な旅路だといえると思います。 しかし、その後に起こったことこそが、奇跡と呼ぶべきでしょう。 死出への道となると思われた旅は、予想もしない未来を切り開くことになったのです。なんと彼女は、その後1年近く生きたのです。旅立つ前に、複数の医師から余命が週単位の可能性が十分あると診断されたのに。 余命わずかと知ったとき、彼女の中に強い衝動として生まれたのは、遠く離れた故郷に帰り、今は亡き両親に挨拶に行くことだったのです。そのとき、彼女の体に、力強い命の杭が打たれたといえるでしょう。 自分の成り立ち、自分のつながり、それらを取り戻すことは、明らかに生命力に息吹を吹き込むことになる。それを実感させられました。 ■故郷で家族に囲まれ安らかな最期を 故郷に行くことや墓参りをすることは、しばしばプラスの影響を与えると思います。また、故郷で最期を迎えたいと思う人もいます。 私が京都の病院に勤務していたときのことです。余命が週単位である患者さんとかかわりました。今一番気になっていることを聞くと、「故郷の鳥取で最期を迎えたい」と訴えてきたのです。 私は頭を抱えました。ホスピス・緩和ケア病棟の入院には、長い待ち時間が必要なこともよくあります。鳥取の緩和ケア病院に紹介しても、数週間ほど待たされる可能性が高い。鳥取への転院を待っている間に、京都で死亡する可能性があるのです。...
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