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民間ロケット打ち上げ失敗、離陸3分後に自爆

 宇宙事業会社スペースワン(東京)は18日午前11時、和歌山県串本町の民間ロケット発射場「スペースポート紀伊」から小型ロケット「カイロス」2号機を打ち上げたが、約3分後に飛行を中断し、機体を自律破壊した。民間単独では国内初となる衛星の軌道投入に挑んだものの、目的は達成できず、打ち上げは失敗した。  3月に打ち上げた1号機も発射後に爆発、2回連続で失敗となった。  同社によると、打ち上げの約80秒後、ロケット1段目のノズルの動作に異常が発生し、機体の姿勢が乱れた。高度100キロには達したものの、安全な飛行のために設定した範囲を外れ、ロケット自身の判断による自律破壊に至ったと説明した。 見学場に集まった人たちが見守る中、上昇する小型ロケット「カイロス」2号機。打ち上げ後に飛行が中断され、衛星を軌道投入することはできなかった=18日午前11時、和歌山県串本町 小型ロケット「カイロス」2号機の打ち上げ失敗後、記者会見するスペースワンの豊田正和社長(右)=18日午後、和歌山県串本町
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100歳を迎えた人間国宝の染織家 次世代に託すメッセージとは

  紬織つむぎおり の人間国宝で文化勲章受章者の志村ふくみさんが9月に100歳を迎えた。一貫して草木染にこだわり、故郷の琵琶湖沿岸の風景や古典文学、時には現代アートや音楽にも想を得て、自らの内面を織物に昇華させた作品の世界は、若い世代にもファンが多い。その源泉をたどる記念の展覧会が、東京都港区の大倉集古館で開催中だ。随筆の名手としても知られ、自然と人間との関わりや日本文化について深く考察してきた志村さん。激動の「1世紀」を生き抜き、その先にどんな風景を見ているのだろうか。 写経、和歌に親しむ日々――失われゆく日本の自然・手仕事の文化に危機感も  「もう、100歳ですよ」。京都・嵯峨野に10月上旬、「百寿」を迎えたばかりの志村さんを約3年ぶりに訪ねると、晴れやかな笑顔で迎えてくれた。生き生きとした表情、張りのある声が変わっていないことに驚きを覚えるとともに、 安堵あんど した。  志村さんは1924年、滋賀・近江八幡生まれ。東京から戻って離婚を決意した31歳の頃、母の手ほどきを受けて織物を始め、かつて農家の女性の普段着とされた紬織を芸術の域に高めた。現在は般若心経の写経を日課とし、和歌の本を読んだり、軽い体操をしたり。娘で染織家の洋子さんによると、着物や帯のデザインを色鉛筆で描き、工房で織り上げた作品や草木染の糸を手に取って意見を交わすこともあるという。  梅や桜の枝、紅花、 茜あかね 、ヨモギ……。志村さんは平安時代の面影を残し豊かな自然に囲まれた嵯峨野に工房を構え、様々な植物染料で絹糸を染めることを「命の色をいただく」と表現してきた。近年は身近な自然が失われゆく状況を憂えるとともに、加速する着物の文化や手仕事の衰退への危機感も強い。11月まで滋賀県立美術館で開かれた回顧展に志村さんは、「私の生きた一世紀と、次の一世紀を思うと(環境の変化に) 慄然りつぜん とする」という所感を寄せた。「着物は日本人の魂というのが持論ね」と洋子さんが語りかけると志村さんはうなずき、「私は(本にも)そう書いています」と強調した。 米寿を過ぎても高い創作意欲、国内外の文学・美術にも触発 志村さんの京都の工房に筆者が通い、長時間のインタビューを重ねたのは2012年秋から13年春にかけてのことだ。読売新聞朝刊の長期シリーズ「時代の証言者」でその歩みをたどり、計20回余りの連載(「染めと織り 志村ふくみ」として後に書籍化)にまとめた。取材期間中に米寿を迎えた志村さんは、工房で弟子たちとともに絹糸を染め、ほぼ毎日、機に向かって精力的に作品を生み出していた。 凜りん としていながら、たおやかなたたずまいの中に、創作への意欲がほとばしるようなエネルギーを感じた。  今回、大倉集古館に展示されている着物の製作年を見ると、2012年~14年前後の作品が目に付く。30歳代に入って織物を始めてから、染織家としていくつも作ってきたピークの一つが、米寿の頃から90歳にかけてあったのは驚異的なことだと思う。 たとえば、長年作品を愛読してきたオーストリアの詩人、リルケへの憧れを春の野草の繊細な色彩で表現した「柳の国」(2012年)、リルケ作品から名付けた重厚な「悲歌」(同)。この頃、志村さんはリルケの作品について思いをつづった書籍も 上梓じょうし している。   可憐かれん なピンクの格子柄が印象的な「舞姫」も2013年の作で、工房で蚕から取った透明感のある糸、 生絹すずし を紅花で染めて織ったという。この頃、志村さんは水俣病を描いた作家、石牟礼道子さん(2018年に死去)の新作能「沖宮」の上演に向けて衣装の監修を依頼されていた。主人公の少女の衣装に石牟礼さんが所望したのが鮮やかな紅色で、「舞姫」については「まず(紅花で)1作をこころみた」と志村さんは作品集に記している。  石牟礼さんとの交流は、東日本大震災を契機に一段と深まり、人間と自然の関係に対する2人の深い憂慮は、魂が響き合うような往復書簡に結実した。  志村さんが娘の洋子さんと染織の学校「アルスシムラ」を2013年に開校した背景にも、震災により自然と手仕事の未来に強い危機感を覚えたことがあったようだ。この頃の志村さんの原動力の一つに、震災と原発事故による衝撃があったのだろう。  その一方で、90歳を目前にした染織家の自由な発想力も際だっている。お気に入りのジャズのCDカバーに触発されて織り始めたが、完成に近づくと一遍上人の「聖絵」が浮かんできたという「諸国遊行」(2014年)、ベートーベンのバイオリン・ソナタを題材に、リズミカルな格子柄に躍動感がある「クロイツェル・ソナタ」(2013年)――。 東京で100歳記念の回顧展 12月17日から後期展示  志村さんの100歳記念の回顧展は10~11月に滋賀県立美術館でも開かれ、主に同館所蔵の作品が並んだ。大倉集古館の展示はその巡回展ではなく、志村さんが手元に残してきた着物を中心に個人蔵の作品約60点(前期、後期=12月17日~2025年1月19日=で入れ替え)を集めている。  展示室に入ると、まず目に入るのは1950年代、織物を始めた最初期に製作した帯や、母・小野豊が手がけた着物などで、貴重な作品が並ぶ。初めて自作した着物「秋霞」は、かつて農家の女性らが糸を惜しんで作った「つなぎ糸」を濃紺の地に差し入れるように織り上げた記念碑的な作品で、日本伝統工芸展に入賞した。志村さんに織物を勧めた思想家、柳宗悦の民芸運動の影響を感じさせる初期の作品はどこか質実な雰囲気が漂う。京都に工房を構えた40歳代半ばからは独自の作風を確立し、扱う植物染料の幅も広がって作風も多彩になっていったことが伝わってくる。 「第五、第六の季節を生きる」透徹したまなざしと次世代への思い  志村さんはかつて、随筆に「第五の季節を生きている」とつづった。人生の四季を超えた「厳冬期」を迎えているのだと。米寿の頃のインタビューでも「今は第六の季節でしょうか。すでに自分の中には、何割もの『死』が入っている。その現実を受け止め、残りの生を、どうやって一日一日を生きていくか」と話していた。  たゆみなく織物の道を歩んできた志村さんは80歳を前に初めての「スランプ」に陥り、染織から遠ざかったことがある。「二度と機の前に座ることはない」と思っていたというが、その間に端布によるオブジェの製作などの新境地を開き、2年余り後に「復活」。ライフワークの琵琶湖を題材にした「湖水シリーズ」の新作、優美な色遣いで表現した源氏物語の連作などを次々に生み出した。今回の展示にはその頃の作品も目立つ。  さらに米寿の前後は作品制作に打ち込む傍ら、国内外での展覧会や講演などで多忙を極めていった。充実した日々の中でも、志村さんは自らを「厳冬期にある」ととらえる透徹したまなざしを持ち続けていたのではないかと思う。その一方で、常に工房で若い弟子たちとともに仕事をすることを大事にし、「いつもどんな色に染まるか、ワクワクする」というみずみずしい感性を持ち続けてきた。...
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藤波朱理「さらに強く」と意欲 レスリング五輪代表が報告会

パリ五輪で1大会最多8個の金メダルを獲得したレスリング日本代表が27日、東京都内で報告会に臨み、中学時代からの連勝を137に伸ばして頂点に立った女子53キロ級の藤波朱理は「さらに強くなって、また頑張りたい」と2連覇へ意気込んだ。 最重量で日本女子初の五輪女王に輝いた76キロ級の鏡優翔は「応援ありがとうございました」と感謝。57キロ級の桜井つぐみは「夢だった舞台で優勝することができて本当に楽しかった」と喜びをにじませた。 男子グレコで日本勢40年ぶりの制覇を果たした60キロ級の文田健一郎は「念願だった金メダルを獲得できて最高だった」と笑顔で話した。(共同)
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フィギュア坂本、五輪へつなげる シーズン本格化前に選手が会見

 フィギュアスケートのシーズン本格化を前に日本の男女有力選手が30日、東京都内で記者会見し、女子で世界選手権3連覇中の坂本花織(シスメックス)は2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪のプレシーズンであることを踏まえ「ジャンプの構成を変えて選択肢を増やし(五輪に)つながるようなシーズンにしたい」と抱負を語った。  男子で昨季の世界選手権2位の鍵山優真(オリエンタルバイオ・中京大)は、世界王者のイリア・マリニン(米国)打倒に挑む。練習で成功している4回転ルッツをフリーに組み込むことに意欲を示し「これだけ本気なんだというところを見せたい」と闘志を燃やした。(共同)
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ジョン・シナ、WWEからの引退を表明 ― 近年は俳優として大活躍

ジョン・シナが6日、20年間リングに立ち続けたプロレスから来年引退することを明らかにした。 シナは、トロントのスタジアムでWWEファンに向け、複数の日程で引退ツアーを行い、壮大なラストファイトを行うことを約束。今後も、自分のキャリアをスタートさせたプロレスに関わり続けるとファンに断言した。 イベント後の記者会見でシナは、肉体的には「もう限界」だと感じているが、だからといって大好きなスポーツから距離を置く必要はないと語った。 シナは16度のWWE世界王座獲得者で、2000年代初頭には金色のチェーンと後ろ向きの帽子で身を固めたラッパースタイルでリングに登場し、ファンの人気を集めた。 また、俳優としても活躍しており、映画『ブロッカーズ』や『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』では主役を演じ、『ワイルド・スピード』シリーズにも出演。最近では、映画『ARGYLLE/アーガイル』や、大ヒット作『バービー』に出演した。
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C・ロナウド「おそらくアル・ナスルで引退するだろう」…ポルトガル代表での将来についても言及

 アル・ナスルに所属するポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが、自身の今後について言及した。27日、イギリスメディア『BBC』がポルトガルのテレビ局『ナウ』でのコメントを伝えている。  現在39歳のC・ロナウドは、母国ポルトガルのスポルティングでプロデビュー。これまでマンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリード、ユヴェントスとメガクラブを渡り歩いてきた。キャリアを通じて通算5度のチャンピオンズリーグ制覇を経験するなど、数多くのタイトルを獲得。 “世界一”の選手に贈られるバロンドールも5回受賞しており、現代サッカー界を代表するプレーヤーとして歴史に名を残している。2022年12月にはアル・ナスルへと加入。昨季はリーグ戦で35ゴールを挙げ、サウジ・プロフェッショナルリーグの1シーズンにおける最多得点記録を更新しながら得点王に輝いた。  今夏にドイツで開催されたEURO2024にも出場し、今もなお第一線で活躍を続けるC・ロナウド。大ベテランの域に達しながらサウジアラビアで得点を量産する同選手については、キャリアをスタートさせたスポルティングへの将来的な復帰が噂されている。  そんななか、『ナウ』のインタビューに応じたC・ロナウドが自身の今後について言及。「近いうちに引退するのか、2、3年で引退するのかはわからない」と述べつつ、「でも、おそらくここアル・ナスルで引退するだろう」と自らの見解を示した。また、アル・ナスルでの日々についてもコメント。「このクラブで幸せだし、この国でも良い気分だ。サウジアラビアでプレーできて満足だし、これからも続けていきたい」と口にした。  また、ポルトガル代表での将来についても発言。EURO2024でのパフォーマンスに対して一部メディアなどから批判を受けるなか、「代表を去るときは事前に誰かに告げるつもりはない。それは僕にとって非常に自発的な決断になるだろうが、同時に非常によく考えた決断でもあるだろう」と引き際を語っている。  一方で、「今、僕が望んでいるのは、これからの試合で代表チームを助けられるようになることだ」と主張。「ネーションズリーグも控えているし、ぜひプレーしたい」と決意を燃やした。
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松山英樹組は2戦2敗 プレジデンツ・カップ/米男子ゴルフ

第3日、フォアボールの1番でティーショットを放つ松山英樹=ロイヤルモントリオールGC(共同) 男子ゴルフで米国選抜と世界選抜(欧州を除く)が争う団体対抗戦、プレジデンツ・カップ第3日は28日、モントリオールのロイヤルモントリオールGCで8試合が行われ、松山英樹は2試合に出場して2敗だった。ともに任成宰(韓国)と組み、ホールごとに良い方のスコアを採用するフォアボールでパトリック・カントレー、サム・バーンズ組に2アンド1で黒星。一つのボールを交互に打つフォアサムでスコッティ・シェフラーとラッセル・ヘンリー組に3アンド2で敗れた。 米国選抜が計11―7とリード。最終日の29日はシングルスのマッチプレー12試合が行われる。(共同)
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DeNA2軍、実に42年ぶりの戴冠 既存の戦力と若い力が融合

イースタン・リーグは28日、DeNAがロッテ戦(横須賀)に8-0で勝ち、大洋時代の1982年以来、42年ぶり4度目の優勝を決めた。28日時点で68勝48敗9分け。10月5日に宮崎市のひなたサンマリンスタジアム宮崎で行われるファーム日本選手権で、ウエスタン優勝のソフトバンクと対戦する。 横須賀スタジアムに歓喜の瞬間が訪れた。2447人のファンが駆け付け、開放された外野席からも歓声が響く。実に42年ぶりの戴冠。1984年にプロ入りした青山2軍監督はナインの手で5度宙に舞い、長いブランクに感慨を込めた。 「42年前というと僕が入る前。その長さもあって、みんな喜んでくれている。今日の優勝は特別な感じがした」 既存の戦力と若い力が融合し、頂に立った。先発した育成ドラフト4位・庄司(青森大)は力強い直球に緩急を織り交ぜ、6回無失点で8勝目を挙げた。1年間ローテーションを守った左腕は「正直うまくいきすぎた。いい経験ができた」と納得顔を浮かべた。 1軍復帰を目指す石田健、山崎ら実績ある投手が救援で好投し、無失点リレーで制した。ファームは若手の育成や故障者の戦列復帰を後押しする場でもあり、勝利が絶対ではない。それでも、青山2軍監督は「勝つことが選手の成長につながる。それがチームのためになるし、(選手が)1軍に行く近道になる」と指揮を執った。 米大リーグから5年ぶりにチームに復帰した筒香が若手に経験を伝え、底上げを促した。1軍から試合に参加したドラフト1位・度会(ENEOS)も、その経験を糧にする一人。1安打1打点で勝利に貢献し「与えられた仕事をできるように頑張る」と1軍での飛躍を期した。(鈴木智紘)
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【MLB】大谷翔平、50号本塁打の記念球は戻らず 捕球したファンは個人で保有することを選択

マーリンズ4-20ドジャース(19日、マイアミ)米大リーグ、ドジャースの大谷翔平投手(30)は「1番・DH」で先発。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一に輝いたローンデポ・パークで6打数6安打3本塁打、2盗塁、10打点という記録的な成績でMLB史上初の「50本塁打ー50盗塁」を達成。記録を「51本塁打ー51盗塁」にまで伸ばした。 大リーグ機構は大谷が48号を放って以降、記念球を判別するために特別ボールを使用している。この日も大谷が打席に入る前、球審がボールの交換を投手に要求した。マーリンズの試合球を管理する球団関係者によると「大谷の49号がかかった打席から、ボールには大リーグのオセンティケーター(証明する人)が記号のようなものを黒い細いマジックで記入する。そこには審判も同席する」と説明。マイアミのメディアによると「(50号本塁打の)記念球を捕球したファンは個人で保有することを選んだ。ドジャースは取り戻さなかった」と伝えた。
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【MLB】カブス・鈴木誠也、3年目もプレーオフ行けず「やっぱり面白くない」

レッズ戦の4回、中前打を放つカブス・鈴木=シカゴ(共同) カブス―レッズ(29日、シカゴ)カブスの鈴木は「3番・指名打者」で出場し、4打数1安打だった。内容は三ゴロ、中前打、遊飛、右飛、四球で打率は2割8分3厘。チームは延長十回、0―3で敗れた。 3年目のカブスの鈴木は今年もレギュラーシーズンで戦いを終えた。「3年で一回もプレーオフに行けていないのはやっぱり面白くない」と率直に打ち明けた。 打率は2割8分3厘で昨季と同程度の成績を残し、21本塁打、16盗塁は昨年を上回ったが「僕自身は納得していない」と目標に届かなかった。 終盤は指名打者での起用が続いたことも不満。「守備と走塁は、このままだと終わってしまうのでしっかりレベルアップしないといけない。オフはやることがいっぱいある」と早くも来季を見据えた。(共同)