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『ウェンズデー』シーズン2の撮影は順調?ジェナ・オルテガが明かす

現在撮影が行なわれているドラマ『ウェンズデー』シーズン2。主演のジェナ・オルテガが、『ウェンズデー』シーズン2の撮影の状況を明かした。(フロントロウ編集部) 『ウェンズデー』シーズン2の撮影の状況は?  アダムス・ファミリーのウェンズデーが10代になり、高校で起こるミステリーを解き明かしていくドラマ『ウェンズデー』は、映画『チャーリーとチョコレート工場』や『シザーハンズ』などで知られるティム・バートン監督が初めて手掛けたドラマで、Netflixで配信がスタートすると、1週間で視聴時間が3億4,123万時間を記録するなど話題に。 『ウェンズデー』で主演を務めるジェナ・オルテガが、シーズン2の撮影状況を EntertainmentTonightに明かした。現在ジェナは映画『ビートルジュース ビートルジュース』のプロモーション中だが、『ウェンズデー』の撮影は順調のようで4話まで撮影し終えたようで「私たちは撮影にどっぷりと取り組んでいて、公式には4つのエピソードを撮り終えました」とコメント。  そして「これまでのところ、すべて順調です。私たちは、原点に忠実でありながら、はるかに大きく、はるかに肉付けされ、キャラクターには本当に素晴らしいストーリー展開があり、素晴らしいセットピース、ストーリーラインがあります。最初からずっとワクワクして、視聴者はもっと楽しめると思います」と話した。  『ウェンズデー』シーズン2の配信日についてはまだ明かされていないが、2025年中ごろには配信されると言われている。
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アリアナ・グランデ、幼い頃に『ウィキッド』の楽屋で目にした「驚きの物」を再現

シンガーで俳優のアリアナ・グランデが、自身が出演する映画『ウィキッド』と自身のコスメブランド r.e.m. beauty のコラボについて話した。(フロントロウ編集部) r.e.m. beautyと『ウィキッド』がコラボ  アメリカで11月22日、日本で2025年春に公開されることが決定している、ミュージカル界の不朽の名作『ウィキッド』を映画化した『ウィキッド ふたりの魔女』。グリンダ役を務めるアリアナ・グランデは、『ウィキッド ふたりの魔女』の公開を記念して自身がプロデュースするコスメブランド r.e.m. beautyと『ウィキッド』がコラボすることを発表。  アリアナが演じるグリンダをイメージしたピンク中心のグリンダ・メイクアップ・セットや、シンシア・エリヴォが演じるエルファバをイメージしたグリーンを中心にしたエルファバ・メイクアップ・セットが登場する。  その中でも話題になったのが、紫色のチーク&リップスティック。じつはこのアイテムは、アリアナが幼いころに訪れたミュージカル『ウィキッド』の楽屋で見たコスメからインスパイアされたとAllureのインタビューで明かした。  アリアナは10歳の頃にミュージカル『ウィキッド』のバックステージを訪れたようで、その際エルファバを演じたイディナ・メンゼルのメイク室で紫色のメイク道具を発見。その時紫のコスメを見たことにいまだに覚えているようで、アリアナは「10 歳のとき、舞台裏に行く機会があって、イディナの楽屋の前を通ったとき、彼女のメイクコーナーにあった紫色のコスメを見たんです。それで私は『ちょっと待って、その紫は何のためにあるの?』って感じだったんですが、彼女が『ああ、エルファバのコントゥアリングです』と言ってくれました」と語った。  その経緯を経て今回のコラボコレクションでは、紫色のコスメを作ったよう。アリアナのr.e.m. beautyと『ウィキッド』のコラボコレクションは10月1日より r.e.m. beautyの公式サイトなどで販売される。
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ゲッティイメージズ、Twitter、Instagramテイラー・スウィフト、「元宿敵」のパフォーマンスを盛り上げる

シンガーのテイラー・スウィフトが、MTV VMA中にケイティ・ペリーのパフォーマンスでノリノリになっている姿が目撃された。(フロントロウ編集部) ケイティ・ペリーがMTV VMAで特別賞を受賞  現地時間9月11日に開催ニューヨークのUBSアリーナにて開催された MTVビデオ・ミュージック・アワード(VMA)では、テイラー・スウィフトが7部門で受賞して最多受賞となった。  2024年のMTV VMAはメーガン・ジー・スタリオンが司会を務め、豪華アーティストが出席。エミネムやサブリナ・カーペンター、チャペル・ローンなどがパフォーマンスする中、テイラーはアーティストがパフォーマンスをしていた時はノリノリで踊りながら楽しんでいた。  その中でも話題になったのは、特別賞であるヴァンガード賞を受賞したケイティ・ペリーのステージ中のこと。ケイティは「Teenage Dream」、「Firework」、「California Girls」などのヒット曲に加え、新曲「I’m His, He’s Mine」も披露。テイラーとケイティといえば2014年頃から不仲が騒がれており、ハリウッドでも犬猿の仲として有名だったけれど、2018年にケイティがテイラーに平和の象徴であるオリーブの葉と直筆レターを届けたことで仲直り。  関係修復後は少しずつ友情を育み、今ではお互いに悩み事などを相談する間柄にまで成長し、ケイティの大第1子が誕生した際は、テイラーが手作りで製作したシルク素材のブランケットをプレゼントするなど仲を深めている。  テイラーはそんな元宿敵であるケイティのパフォーマンス中、誰よりもノリノリで彼女のパフォーマンスを楽しんでおり周りの雰囲気を盛り上げた。
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ドウェイン・ジョンソンとの「確執」をワイスピ俳優が悔やむ

ジョン・シナがドウェイン・ジョンソンとの過去の確執について「自己中心的だった」と語った。(フロントロウ編集部) ジョン・シナがドウェイン・ジョンソンを非難したことを後悔  プロレスラーから俳優に転身したジョン・シナが、同じく元プロレスラーのドウェイン・ジョンソンとの過去の確執についてポッドキャスト『Happy Sad Confused(原題)』で語った。なお、2人には映画『ワイルド・スピード』シリーズに出演しているという共通点がある。  今から15年ほど前、ジョンはドウェインがWWEを「愛している」と言いながら俳優業に専念し、節目となるWWEのイベントにも復帰しなかったことを非難した。しかし、今はそのことを後悔しているそうで、「自己中心的でした。(当時の自分は)WWEの中だけで生きていたため、成長や他人の視点という概念がなく、ドウェインのコメントを本心ではないと捉えてしまったんです。私の考えは、“愛しているのであれば、毎日そこにいるべきだ”というものでした」と言うと、「なんという偽善者なのでしょう。私はまだWWEを愛していますが、いつもそこにいることはできません。当時の私には見えていなかったんです。私はとても自分勝手でした。彼の電話番号も知っていたし、(個人的に)話すこともできたはずです」と続けた。  ドウェインと裏で話をすれば済んだことだが、ジョンはドウェインを公の場で批判することを選んだ。そして、それは話題性という点では十分だったが、2人の関係を損なうものとなった。  ジョンは、「今ならなぜ彼が怒ったのか理解できます。彼は業界の認識を変えようとしているんです。それに比べて私は自分のことしか考えておらず、メインイベントでの対戦を望みました。それがビジネスにとって良いことだと思っていましたが、目先のことしか見ておらず、利己的だったと思います」、「テレビ的には良かったと思います。しかし、それはほとんど私たちの友情の犠牲の上に成り立っていました。今でこそ、(ドウェインとの関係は)素晴らしい状態にあると言えますが、お互いに信頼しあうべきなのに、私は彼の信頼を裏切ってしまったのです」と、過去の自身の言動を反省した。(フロントロウ編集部)
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『SHOGUN 将軍』世界が大熱狂!大どんでん返しの後半戦 見どころを徹底解説

ディズニー公式動画配信サービスDisney+(ディズニープラス)の「スター」で今年2月27日から独占配信されている真田広之主演の戦国スペクタクルドラマ『SHOGUN 将軍』。 初回2話が配信6日間で再生回数900万回を突破しディズニープラス歴代1位の快挙、さらに批評サイトRotten Tomatoesでは100%の高評価も獲得。世界で「SHOGUN」旋風を巻き起こしています。 すでに全10話中5話までが配信され、ここから一気に大どんでん返しのクライマックスへ。 そこで、この記事では2024年世界で話題の戦国ドラマ『SHOGUN 将軍』の魅力、そして全話を鑑賞した筆者がドラマ後半戦の見どころを徹底解説していきます。 『SHOGUN 将軍』とは ジェームス・クラベルの小説「SHOGUN」を基に、『トップガン マーヴェリック』の原案を手掛けたジャスティン・マークスが製作総指揮を務めた戦国スペクタクルドラマ。 1600年代の日本。徳川家康ら歴史上の人物にインスパイアされた登場人物が、天下分け目の「関ケ原の戦い」前夜に“将軍”の座をめぐり熾烈な戦いを繰り広げていきます。 主演&プロデューサーに真田広之、さらにアンナ・サワイ、浅野忠信、平岳大、二階堂ふみ、西岡德馬ら豪華キャストが集結。イギリス人航海士のジョン・ブラックソーンにコズモ・ジャーヴィスを起用。 毎週火曜日に1話ずつ更新され、最終回10話は4月23日配信予定です。 全世界900万回再生の快挙!ハリウッドが描いた唯一無二の戦国ドラマ これまでハリウッドが描く日本を思い返すと、英語で会話をし日本人も出演していないことがほとんどでした。 しかし『SHOGUN 将軍』はこれまでの作品とは一線を画し、違和感のある日本は登場しません。 ここまで忠実に日本を表現できたのは、真田広之がプロデューサーも務めたからこそ。『SHOGUN 将軍』のオファーが来たときに、日本人役は日本の俳優をキャスティングするならと条件を出し、さらに時代劇のベテランスタッフを日本から招きます。 真田は米ハリウッドリポーターに「自分の撮影がない日も毎日現場に行き、小道具からキャストの立ち位置、所作、衣装のチェックをした」と語り、細部まで本物を追求。帯の結び方や着物の衿の位置も完ぺきにこだわり抜いたと言います。...
珍しい物語と奇跡

なぜ田中角栄は「人の心をつかむ天才」になれたのか…石破茂の結婚披露宴で角栄が語った”スピーチの中身”

田中角栄首相は今も根強い人気がある。なぜ彼は人を惹きつけるのか。角栄を師と仰ぐ自民党元幹事長・石破茂氏の自著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)より、2人のエピソードを紹介する――。 ロッキード事件の最中、「丸紅」勤務の彼女と結婚 1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。 木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。 「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」 これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。 「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして」 角栄先生は、へー? という顔をして、詰めてきました。 「何だ、それは。どこに勤めているんだ」 ここで私は窮地に立ちました。彼女の勤め先は、あのロッキード事件の渦中にあった丸紅だったからです。「商社です」とごまかそうかと一瞬思いましたが、この先それで通しきれるはずもありません。仕方なく、さらに小さくなりながら、正対してきちんと(いえ、もしかしたら逃げ腰だったかもしれませんが)「ま、丸紅です」と答えました。 「馬鹿者」から表情が一変 角栄先生は一言、「馬鹿者」と仰って、激高しそうな様子をみせたのですが、ふと、考え直すようなそぶりで、「待て、その子の親はどこの出身だ」と聞いてこられたのです。私は心中、快哉を叫びました。彼女のお父上の出身は新潟だったからです。 おそらくかなりの得意顔で私が「ご出身は新潟です」と答えると、先生は急に柔和な感じに戻られ、「そうか、それならいい」と言ってくださいました。 その後、私は無事にその彼女と結婚できることになり、結婚式は83年9月22日、ホテルニューオータニで挙げることになりました。
珍しい物語と奇跡

「最低7時間睡眠が理想」は大ウソである…医師「自分に最適な睡眠時間を把握するたった1つの方法」

人間にとって最適な睡眠時間はどのくらいか。日本睡眠学会理事で医師の櫻井武さんは「1982年、アメリカの100万人以上を対象にした調査では、6.5〜7.4時間睡眠の死亡危険率がもっとも低いことが示されている。しかし、これは調査対象者が30〜102歳の男女と幅広く、睡眠時間もベッドでゴロゴロする時間も含まれている可能性が高いので、正確性に欠けていると考えるべきだ。自分の最適な睡眠時間の目安としては、昼間、眠気に襲われることなく、本来やるべき作業をしっかり行なうことができるかどうかをみるといい」という――。 起きているときの脳は、常に情報を伝え合っている 起きているときの脳は、さまざまな体験と行動を繰り返して、それを記憶しています。 たとえば朝、出社するとき「風が強いな。交差点で自転車の事故を目撃した。花の香りがした。近所の人と挨拶をした。駅のホームで手袋が落ちていた。友だちから旅行の誘いのメールが入った……」などの出来事があったとします。 これらの体験と行動は、脳の1000億ある神経細胞のシナプスという接続部分で、神経伝達物質をやりとりして脳に溜め込まれています。 起きているときに、たくさんの情報を伝え合っている神経細胞同士のシナプスは「強度」が上がっています。繰り返し使うほどに、シナプスは強く(つまりは、より記憶が定着する)なります。 ちなみに、このシナプスの強度が上がっていることが「睡眠圧」を生み出しているという説が有力になっているのです。 難しいですね。こんなたとえはどうでしょう。 起きているときは、頭のなかには、1つのコンセントに電源タップを使ってたくさんの電気機器をつないでいる「たこ足配線」の状態だとイメージしてみてください。記憶するべきことが多く、たくさん神経細胞同士を“接続”する必要があるからです。
珍しい物語と奇跡

上野英三郎博士とハチ公

ハチ公は晩年、有名になってから「忠犬」と呼ばれるようになり、戦争と軍国主義の時代にあって恩を忘れぬ犬として修身教育に利用されました。ハチ公を世に知らせた社会的な生みの親で犬の愛護と研究に生涯を捧げた斎藤弘吉氏は次のように述べています「死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかも知れませんが、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。無条件な絶対的愛情なのです。人間にたとえれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似た性質のものです。」「渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない博士に会いたかったのである。ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾をふりたかったのである。私たちが東大に作る像は、上野博士が迎えに来たハチ公といつもそうしていたように、ハチ公が博士に飛びついてスキンシップをしている、大喜びの愛情あふれる姿です。人と犬との素晴らしい関係を象徴する像です。
珍しい物語と奇跡

【古尾谷 裕昭】50歳未亡人が絶句…夫の急死後、「前妻の子」から突如届いた「内容証明」の驚きの中身

最愛の夫をある日、突然の病で失った芳美さん(50歳、仮名=以下同)。悲しみに暮れるなか、前妻の子から届いた内容証明郵便を見て絶句してしまった。気になるその内容とは……。相続にくわしい税理士の古尾谷裕昭氏が事例をもとに解説する。 【この記事の登場人物】 佐藤 博(享年58歳):被相続人 佐藤 芳美(50歳):博の後妻。博の相続発生時の配偶者 朋子(60歳):博の前妻 慶太(30歳):博と朋子の子ども 莉子(20歳):博と芳美の子ども 夫の突然死、恐れていた相続問題が…不動産会社の社長である佐藤博さん(享年58歳)が亡くなったのはお盆を過ぎたあたりのまだ残暑厳しい時期のことでした。 交差点で信号待ちをしていたときに、信号が青になっても、クラクションを鳴らしても動かない車を後続の運転手が不審に思い、車内を覗いてみると、博さんがハンドルにかぶさるようにして倒れていたといいます。 すぐに緊急搬送されましたが、妻の芳美さん(50歳)が病院から連絡を受け、急いで駆け付けたときには博さんはすでに鬼籍の人となっていました。死因は心筋梗塞。 中古マンションの仲介案件が成約したので、その後の手続きの指示のため、会社に電話を入れたのが博さんと芳美さんの交わした最後の会話となりました。 車はサイドブレーキがかけられた状態だったとのことで、おそらく、体の異変に気づいて咄嗟に停止させたのでしょう。最期まで周囲のことを考えて行動していた夫を思うと芳美さんは涙が止まりませんでした。 芳美さんは博さんとの結婚が初婚ですが、博さんは再婚でした。 博さんは芳美さんと出会う前、現在の会社を立ち上げる前に、不動産会社の従業員として勤務していた頃、当時婚姻関係にあった前妻の朋子さんに、マイホームを買おうと頭金として一生懸命貯めていたお金を持って駆け落ちされてしまったのです。 結婚して5年。それだけではなく、目に入れても痛くないほどかわいがっていた当時3歳の一人息子の慶太くんまでも連れ去られ、博さんは憔悴しきっていました。 それから何か月か経って、朋子さんと慶太くんの居場所がわかりましたが、その時には朋子さんのお腹の中に駆け落ち相手との子どもがいました。「訴えることもできますよ」と相談していた弁護士に言われていましたが、博さんにはそんな気力は残っていませんでした。 朋子さんのお腹の子は博さんの子どもではないため、父子関係はないとする嫡出否認と離婚の手続きだけを済ませました。とにかくこのことを考えたくなかったからです。 前妻との件があってから博さんは仕事に没頭しました。そんなときに芳美さんが転職してきたのが2人の出会いです。芳美さんが、仕事のできる博さんを好きになるのにそう時間はかかりませんでした。...
珍しい物語と奇跡

余命は1カ月どころか週単位…70代女性がよろめく体を奮い立たせてやった驚くべき行為と奇跡的に生きた年月

■亡くなる前にもう一度両親の墓参りをしたい 病気が重くなり動けなくなりますと、人は若い頃を追憶し、故郷に帰りたいという想いが強くなるようです。 亡くなる1週間くらい前、人によってはもっと前から、少なからぬ人にせん妄という混乱が生じます。現状の認識が困難になり、時間や場所の感覚があいまいになるのです。 そのような混乱の最中に、昔のことを語りだす人が少なからずいます。昔と今を取り違えてしまっているのです。息子を父だと勘違いしたり、妻を母と勘違いしたりすることもあります。 私は、100歳近い女性患者さんに「お父さん」と泣き叫ばれて抱きつかれたこともあります。彼女は私に、父の姿をみたのでしょうか。 そういった患者さんたちの様子をみるにつけ、幼い頃の記憶というのはいかに強固に心に残っているか思い知らされます。人は意識していなくても、心の奥底には、幼少期に住んでいた場所、そこで共に生きた人々のことが記憶として刻まれているのでしょう。 死ぬ前に「故郷に帰りたい」「両親の墓参りをしたい」という想いを強くする人もいます。 余命が週単位と思われるほど衰弱した、70代の女性患者さんがいました。 その方は望郷の想いから、なんと飛行機に乗って1000km以上も離れている故郷に帰ったのです。これが最後だと知ったうえでの、文字通り覚悟の旅でした。 彼女は故郷に眠る父母の墓に手を合わせたそうです。また兄弟と忌憚なく笑い合い、心の中ではっきりと別れを告げたそうです。 そのうえでよろめく体を奮い立たせて、また1000km以上もの飛行機の旅をして、帰ってきました。 もはやまともに歩くのも困難なほどの状態でしたから、この往復は奇跡的な旅路だといえると思います。 しかし、その後に起こったことこそが、奇跡と呼ぶべきでしょう。 死出への道となると思われた旅は、予想もしない未来を切り開くことになったのです。なんと彼女は、その後1年近く生きたのです。旅立つ前に、複数の医師から余命が週単位の可能性が十分あると診断されたのに。 余命わずかと知ったとき、彼女の中に強い衝動として生まれたのは、遠く離れた故郷に帰り、今は亡き両親に挨拶に行くことだったのです。そのとき、彼女の体に、力強い命の杭が打たれたといえるでしょう。 自分の成り立ち、自分のつながり、それらを取り戻すことは、明らかに生命力に息吹を吹き込むことになる。それを実感させられました。 ■故郷で家族に囲まれ安らかな最期を 故郷に行くことや墓参りをすることは、しばしばプラスの影響を与えると思います。また、故郷で最期を迎えたいと思う人もいます。 私が京都の病院に勤務していたときのことです。余命が週単位である患者さんとかかわりました。今一番気になっていることを聞くと、「故郷の鳥取で最期を迎えたい」と訴えてきたのです。 私は頭を抱えました。ホスピス・緩和ケア病棟の入院には、長い待ち時間が必要なこともよくあります。鳥取の緩和ケア病院に紹介しても、数週間ほど待たされる可能性が高い。鳥取への転院を待っている間に、京都で死亡する可能性があるのです。...